History|JAMTの設立背景と実績
患者・家族のためのがん医療情報には大きな格差
2004年、有志の翻訳者が集まって実質的な活動を開始しました。当時、日本の癌医療をとりまく環境は世界標準にはほど遠く、病気や治療法に関する専門情報の一般への普及度には大きな格差がありました。
特に、医療従事者以外のひとが、日本にいながらにして病気や治療方法に関する正しい知識を手に入れる方法は限られており、英語を解するごく一部のひとだけが、先端の研究成果を得られるといった状況でした。
国立の専門機関が積極的に研究を行い、その成果を余さず社会にむけて発信する海外の国々では、患者や家族は、自らの病状や治療について情報収集する術があります。そしてそこから、それぞれの価値観やライフスタイルに従い、治療方針について主体的な意思決定を行うことができるのです。
ひるがえって当時の日本では、病気の当事者であるはずの患者本人や家族が主体的に治療に関わりたいと願っても、その判断材料となるような、信頼性が高く、しかもわかりやすい専門医療情報を手に入れられる機会はなかなかありませんでした。
本当に必要な医療情報を、誰もが読めるようにしたい
おりしも2000年前半はインターネットの爆発的普及により、世界中の人々が容易に国内外の情報を取得できるようになっていった時期でした。米国国立癌研究所(NCI)はじめ公的機関や医療施設、患者支援団体などからも、一般向けの医学的説明や最新情報がさかんに発信されていました。
すでに米国では、患者自身が自主的に治療情報を収集・共有し、医療の現場に反映させられるような積極的な働きかけ(患者アドボカシー)も活発化していました。
そうした英語での癌治療情報の充実ぶり、活発さに驚き、文化と医療リテラシーの違いを痛感したJAMTの創立メンバーは、それぞれの語学や情報アクセスの能力を活かし、原文の著作権を求めてひとつひとつ、地道にコンタクトを取っていきました。
さらには情報源の確保と同時に、ボランティアの翻訳者や監修者の協力を募るための働きかけも精力的に行い、それらの機関が発信する専門情報を日本語に翻訳し、一般向けにわかりやすく編集して配信する活動を開始したのです。
癌治療の飛躍的発展とともに翻訳活動も成長
2000年代は新薬の登場により癌治療は大きな変革期でもあり、それにともなってJAMTの翻訳・提供活動に対する期待や要求が高まり、活動は広がっていきました。
続々と開発される新薬や治療法は、多くの癌を治療可能な疾患へと変えていきます。分子生物や遺伝子研究も進み、さまざまな新薬開発、治療薬の進歩が治療の現場に及ぼす影響の大きさ、速さに、医療翻訳を通じて接してきました。
この頃になると、外国語の情報についても、多言語対応機能や各種医療情報ポータルの充実によって、幅広い情報が以前に比較して手に入りやすくなります。日本国内の癌情報も各方面の努力により充実して、癌医療情報の世界は大きく様変わりし、患者の医療への参画もずいぶん定着してきました。
一方で、膨大な情報量が溢れているインターネット空間から、本当に信頼できる、医学的根拠に基づいた情報を見極めることの難しさ、という新たな課題も生まれてきます。そして現在に至るまで、情報総量が膨らむほどに、「生命と健康に関わる医療情報の信頼性の裏づけ」の重要性が増しているのです。
「医療情報」の海から信頼できるものだけを、迅速に
現在、癌領域における医療情報の世界は大きく様変わりし、患者の医療への参画も随分定着してきています。‘がんサバイバー’という言葉も、患者のコミュニティだけでなく、ひろく一般に用いられるようにもなってきました。「癌と診断された時点から人生の最後まで」、「患者本人および家族や友人、支援者も含む」と定義もされ、関係者の一体感を生む力強い言葉となって用いられています。
2010年頃からは、癌の‘アドボケート’(患者支援者および支援団体)という言葉もしばしば耳にするようになりました。国民の3人に1人は罹患すると言われる癌ですから、今後はさらに多くの人が何らかのかたちで「当事者」として関与するようになっていくでしょう。癌という病気とその治療への理解は、社会全体の課題として重要性を増していくはずです。
また、専門研究のスピードも総量も上がる一方ですので、こうした状況の変化・加速に対してJAMTは今後、最新の癌医療関連情報をさらに質的・量的に充実させ、タイムリーに、精確に、公平に情報提供していかなければなりません。この新たな課題と使命に対して、十分な体制を整えて、社会全体の「安心の基盤」となる医療の発展を支えるべく、次の一歩を踏み出そうと考えています。